読書日記です。
今回は『蛇にピアス』『アッシュベイビー』などで知られている芥川賞作家・金原ひとみさんの『軽薄』について。ネタバレも含まれるので、未読の方はご注意を。
『軽薄』のあらすじ
雑にあらすじを紹介します。
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主人公は、29歳女性。業界人。旦那も友人も煌びやか、かわいい息子もいて順風満帆。そんな中である日、甥と不倫関係に落ちる。金原さんらしい丁寧なエロ描写が続く中で、主人公と甥の過去が明かされていく。
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このあらすじだと、女性ファッション誌とか女性週刊誌に連載されているアラサー女性の孤独……誰かに分かってほしいこの気持ち……ちょうどうまいこと出合ったイケメンに惹かれちゃう……悪いことだって分かってるから誰も責めないで……でも誰かに知ってほしい……という自意識成分98%配合恋愛小説のように感じてしまうかもしれませんが、実際は違います。
女性作家さんに少なくないのですが、金原さんは結婚・出産・子育てを経験して書くものが変わっていった作家さんのひとりです。
それは決して否定的な意味ではありませんが、私は初期作品の荒削りな雰囲気が好きだったこと、またかねてより文学作品によくある「母と子」のテーマをうまく噛み砕けなかったことから『TRIP TRAP(トリップ・トラップ)』あたりから読みにくさを感じていました。
それでも『軽薄』は、初期作品のむちゃくちゃさと初期にはない冷静さ・ちょっとした狡猾さがうまくブレンドされていて、すごく好きな作品でした。
『オートフィクション』との関連性
『軽薄』の主人公は、過去に付き合っていた相手に逆恨みされ、道端で背中を刺されたという経験があります。そしてこれが、ストーリーの核になっています。
これを読んで思い出したのが、2009年に単行本が発売された金原さんの作品『オートフィクション』。作中にも刃物を持った頭のおかしい人に追いかけられた、というエピソードが登場します。
それから、金原さん自身はラジオ番組に出演した際、高校時代は彼氏と同棲して、喧嘩ばっかりしながら過ごしていたという旨も語っていました。このとき、実体験として話していたエピソードの中に、オートフィクションにあったたなあ、というエピソードは少なくありませんでした。
金原さんの作品あるあるだと思うのですが、オートフィクションと謳っていない作品さえも、主人公の向こうに書き手である金原さんの姿がちらつきます。つまり、追いかけられた、あるいは刺されたというエピソードは事実なのではないかということ。
その他にも、『軽薄』の主人公は幼い子どもを連れて海外で生活していた時期のことをつらい経験だったと語っていますが、金原さん自身が東日本大震災後、フランス・パリで生活し、一時鬱のようになっていたというエピソードを知っていることを知っている読者なら、その言葉には重みを感じられるはずです。
こうしたやや狡獪な人物描写によって、あいまに挟み込まれる生ぬるい描写が、さらに現実味を帯びていきます。『軽薄』を読んでいて「うわあ」と顔をしかめたのが、こんなシーン。
- 「ママ」と甘えて抱きついてきた息子の股間が、ぴくぴく反応していたという描写
- 自分を刺した相手が今は出所しているという事実と、また自分を殺しにくるかもしれないというありもしない恐怖に縛られているところ
- 甥のアメリカでの生活の真相
- ベッドサイドのスマホが、つながったままになっていることに気づくシーン
『蛇にピアス』『アッシュベイビー』という初期作品で見かけられた、分かりやすい気持ち悪さこそないものの、絶妙に「嫌」な描写でした。
金原さんがこれまでいいペースで作品を書き続け、メディアにも露出し、積み上げてきたことすべてをこの作品の伏線にしているようにさえ感じました。
『軽薄』のラストについて
エロと不条理という、金原さんらしい展開の中にひとすじのサスペンスを滲ませつつ展開していく『軽薄』。途中、読みながら「この話どこに落ち着くんだろう……?」と不安になりました。
結果的にこのお話はオートフィクション(この場合はタイトルではない)をベースに、とっても軽薄なラストに落ち着きました。それでもなんとなく美しく仕上がっていて、かつ読み手の読後感に責任をとってくれません。
ブン投げて知らん振り、という類の小説は総じて良作だと思っているのですが、金原さんの作品はこういう終わり方が多く、かつ軽薄のラストは本当に、気持ちいいものでした。本当に軽薄でした。
『オートフィクション』内に「旦那が自室に入ったあとに聞こえてくる、トランクを開閉する音が怖くてたまらない。トランクに何が入っているのかは知らない。ただ、それが旦那の秘密であることだけは分かる。旦那が自室に入ったあとは、トランクの開閉音が聞こえないようにノンストップで音楽を聴く。一瞬でも音が止まって、その瞬間にトランクの開閉音が聞こえたらと思うと気が狂いそうになる」という「22nd winter」のエピソードがあります。
このエピソード、あらゆる金原作品の中でもかなり好きなのでたまに反芻するのですが『軽薄』の主人公は「秘密」を無理に掘り起こすことも、見て見ぬふりをすることもありません。どこか共通点を感じていた『オートフィクション』と『軽薄』の主人公も、本質との向き合い方は正反対で、ここには金原さん自身の思想の変化が関係しているように思えます。
初読のときには、倫理的にどうとか、作品として優れているとかいいとか悪いということは一切抜け落ちて、ただ「取り残された」とだけ感じたラストシーン。私は好きです。すごく。
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