あの線香花火が解散するだなんて、しかも又吉さんはその後同期のピン芸人とコンビを組むんだって、その相方があの「嘘なんですけどね」のネタの綾部さんだなんて、てかコンビ名ピースって、小説書きはじめたって、芥川賞だって、とここまで、ざっと十数年のことですが、体感としては本当にあっという間に感じます。いつかちゃんと感想を書きたいと思っていたのですが、ようやくそんなモードになったので書きます。例のごとくネタバレありです。
又吉直樹「劇場」のあらすじ
まずは「劇場」がどんなお話か、というところから解説していきましょう。新潮文庫の公式ホームページにはこのような記載がありました。
高校卒業後、大阪から上京し劇団を旗揚げした永田と、大学生の沙希。それぞれ夢を抱いてやってきた東京で出会った。公演は酷評の嵐で劇団員にも見放され、ままならない日々を送る永田にとって、自分の才能を一心に信じてくれる、沙希の笑顔だけが救いだった――。理想と現実の狭間でもがきながら、かけがえのない誰かを思う、不器用な恋の物語。芥川賞『火花』より先に着手した著者の小説的原点。
「火花」が芸人の話であったのに対し、こちらはまっすぐな恋愛小説。主人公の永田と沙希の出会いや日々が描かれます。2020年、山崎賢人さん主演で映画化もされ話題になりました。
「劇場」という作品を面白がるための素質
結論から言うと、正直なところ自分は「火花」の方が好きでした。これは好みの問題なので「火花」が優れているかどうかという話とは別です。「劇場」が森三中なら「火花」はアホマイルド、どちらが面白くてどちらがより優れているということではありません。完全に好みの問題です。
第一に「劇場」という作品を面白がるには「純愛を読もう」と迎え撃つ姿勢がないと厳しいかもしれません。お笑い芸人としての又吉さんが好き、又吉さんの創作を見てみたい、火花を楽しんだのでこちらも読んでみたい、という動機ではなく「純愛に触れたい」「恋愛小説が読みたい」という気持ちで開かないと、この作品が持つ無防備な毒みてーなもんにあっけなく打ちのめされると思います。
あと小説の舞台が下北沢なので、地理が頭に浮かぶ人だと、あああそこのヴィレヴァンね、とかイメージできるのでより楽しいと思う。
「劇場」の最高にぐっときたシーン
そんな「劇場」を読了し、もっともときめいたのはライバル劇団の小峰にまつわるシーン。特に、インタビュー記事を薄目でそろっと読んで、完膚なきまでに打ちのめされるところのリアリティ、うっかり嗚咽が出そうになりました。
具体的には、ライバルとの圧倒的な差を感じて、一人にもかかわらず「おう」とつぶやいてしまうという描写。いやそんなことあるか?と思うきもちと、これ確実に実体験では?と思わざるを得ないリアリティのあいのこで、絶妙にむしゃくしゃしてそれが読み終わったあとにもずっと残り続ける。この小説のことをもう忘れたいのにそのシーンだけこびりついていて生活になにかと関与してくるので、つまりいいシーンなんだと思います。
すぐに「火花」を引き合いに出すのもよくないと思いつつ、やっぱり「才能」を書く力、というか「才能」に憧れた人間の等身大のやや頼りないサイズ感とそこから眺めるやべー人のヤバさの描写なんかは「火花」と同様本当にいい。好きです。「火花」の徳永と神谷を見ていて沸き立つ感情はもうどうがんばっても言葉にできないので諦めているのですが、今後も成功を目指すもうだつが上がらない自分と、圧倒的な才能を持つ人の対比を一生書き続けてほしいしそれをもう延々延々読み続けたい。
「劇場」のラストシーンについて
「劇場」のラストはめちゃくちゃ悲しいです。永田と沙希がかつて一緒に演じた脚本をもう一度読み合いながら、台詞の中にアドリブとして真実の言葉を入れていく。すると永田が追いかけ続けていた「演劇」と沙希との破局という「現実」の境目が曖昧になっていき、タイトルの「劇場」ではなく「自宅」にてはじめて自分の本心を吐露できた、というところで物語は終わります。
「火花」にしても「劇場」にしても、基本的に主人公は達成できないまま終わる。ここに、又吉さんにとっての最高のリアルがあるのかもしれません。
総評など
「劇場」の主人公である永田も、「火花」の神谷も、自分の世界から出てこないちょっとあかん感じの人であり、そこがめちゃくちゃに魅力的です。こういう盲目的なキャラクター像に、とてもよさを感じます。
しかし、後者は視点主である徳永がそもそも神谷さんの才能を疑わないまま最後まで突っ走るのに対し「劇場」の沙希ちゃんはすごく真っ当な人間なので、読んでいてなんとも言えない気持ちに引っ張られてしまう。読者のそうした気持ちを代弁するように、青山という元劇団仲間の女性は沙希ちゃんをかばい永田の身勝手さを責めます。永田と青山の長文メールやりとりをはじめとしたそれこそ火花飛び散る感情ダダモレ口論は読んでいてグワワ、となるものがあるのですが、神谷のいっさい悪意のない棘が恋しくもなります。楽しい地獄、ごめんね。
そういえば「火花」のレビューを読んでいたら「なぜ徳永が神谷にそこまで心酔しているのか分からない」という内容を見つけました。「こういう理由があって、こういう経験があって、こういう心情の変化があったので、徳永は神谷に惹かれたんですよ」っていう描写、読みたい?本当に?
ではどうして永田と沙希はこんなにスムーズに恋愛関係を育んだのでしょう?なぜ沙希は、初対面で追いかけてきて訳わからんこと言う上に奢らせようとするトンデモ男を拒否しなかったのでしょう?「劇場」はあくまで永田の目線で紐解かれる物語なので、沙希ちゃんの本音を知ることはできません。だから安心して読める。もし、途中で沙希視点の展開に切り替わったり、青山が沙希ちゃんの本心を親切ですべて伝えてくれたりしたのなら、怖すぎてそれ以上先を読み進めることができなかったかもしれません。
ということで「劇場」、とってもかわいいお話です。ぜひ。
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