清家雪子「月に吠えらんねえ」最終回直前ということで説明しようのないあらすじと魅力を語る

今回はまんがレビュー。もう何年も、すごくすごく新刊を楽しみにしている清家雪子さんの「月に吠えらんねえ」について、レビューです。

清家雪子「月に吠えらんねえ」のあらすじ

「月に吠えらんねえ」は詩人・萩原朔太郎を中心に、周辺人物の「世界観」をモデルにした作品です。「文学者」そのものではなく「作品の世界観」を擬人化しているというのが特徴。

主人公の「朔」は、「□街(シカクガイ)」に生きる情緒の波がかなり激動型な詩人。たまに小説も書く。でもその小説っていうのは、売れたけれど書きたいものではなく、じゃあ書きたいものってなにかと悶々してまた情緒の波が揺れ動いていきます。あらすじとして語るとすごく難しいのですが、当時の時代背景を加味しつつ、自分のために書いていた詩が「お国のため」になっていったり、突如あらわれた不可思議な首吊り死体の謎を追究したり、自己分裂や抽象概念と深く深く向き合うお話です。

 

とにかくキャラクター力が高い

月吠えを語る上でもう絶対に外せないのがキャラクターの魅力。「朔」のほか「犀(室生犀星)」「白さん(北原白秋)」「ミヨシくん(三好達治)」などが登場するのですが、もうものすごくキャラクターがいいんです。

1巻は特にギャグ的要素が濃いので、キャラクターのおちゃめさがバシバシ伝わってきます。「やだあやだあ!!」と駄々をこねながら詩を書く朔とか、ひとたび筆がのったら「やだどうしよ天才すぎて誰も理解できないこと書いちゃってる天才だから天才って孤独天才ってかわいそう!」と叫びはじめる朔とか(かわいい)。

 

そんでさ、素敵なキャラクターはもうほんとうにたくさんいるんだけどさ、みんな好きだろ?やっぱり結局、白さんが好きなんだろ?そうだろ?そうだよな?正直になれよ、かっこつけんなよ。

この白さんというキャラクター、もうとにかくニヒルで、クールで、作中でも女子にモテモテというキャラクターなのですが、巻が進むごとに傲慢さと可愛らしさの両方を露呈させていくなんというかもうずるいキャラクターなんです。ずるさが服を着て歩き、あまつさえ作中の作者が意図した「モテモテの人気キャラクター」という存在を越えて愛されているように感じます。

とにかく概念でストーリーが進んでいくので、あらすじというあらすじも説明しづらく、それに伴って魅力も語りづらいのですがとにかく印象的な白さんというキャラクター。そして白さんだけでなく他のキャラクターも、己の審美眼を磨くことに真摯に打ち込む姿が響きます。

 

表しようのない表現者の寂しさが分かりやすく伝わる

作品、それも文学作品(をベースにした作品)を語る上であまりいい表現でないとは思うのですが、あえてこの表現を使っていきたいです。月吠えの魅力は「分かりやすさ」です。

月吠えは新刊が出るたびに一読しては「これ、やばいな……前巻までとは全然違う……来るところまで来てしまった……」と思うほど、巻が増すごと面白くなっていき、それを繰り返し繰り返し10巻まで到達したようなお話ですが、その中でも一番好きなのは1巻の最後のお話。

このお話は、作中ではじめて「最初から最後まで一貫して犀目線で書かれている」話。犀はものすごく重要な、話の核となるようなキャラクターなのですが、犀がどのような人物なのか、またどのように朔を見ていたのか知るためには、この話を避けて通れません。

ストーリーとしては朔、犀、白さんの三人で旅行したときの回想がメイン。これまで朔の目線から描かれてきた、言ってしまえば統合失調的な描写や白さんへの憧憬が濃くなりすぎる様子について、犀の視点を通し外側から描かれています。

一番近しい人としてそんな朔をじっと見て、変わっていく友人に悲しい気持ちを抱くさま、そして朔から見た犀も一人の表現者として確実に変わってしまっているさまが、端的に分かりやすく描かれています。そんな流れに差し込まれる、朔が新たに書き始めた独自の詩を読んだ犀のモノローグには頭を抱えました。

おれが言えることは 友よ健康なれ という決別のような言葉だけだった

すごくさみしい。それでも最後にそう伝えることだけが、精一杯の寄り添いだと十分伝わります。友人を好きにも嫌いにもならないように「友よ健康なれ」という言葉で突き放すべきタイミングって確かにあるよな、と思い出せるので、気持ちがぶれそうなとき意識的に読み返しています。

 

このお話、どうやって終わるんだろう

私にとって月吠えは永遠に続いてほしいと思う作品のひとつなんですが、もちろんどこかで終わるはずであり、2019年にはついに「最終回直前です」という告知がでました。ついに……という気持ちと、いやいやこれ終わり方どうなるの、という気持ちでざわざわしています。

作家としての「死」は確かにあるけれど、あくまでこの作品は「作品の擬人化」であり、そして作品は、作家の命とは無関係に生き続けます。もちろん終わり=死ではないけれど、どうしたって感傷的になってしまうし、このままどうなってしまうのか気になると同時に今からロスに震えています。ふへへ……。

 

 

 

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