AIってすごいね、botってすごいねメカってはんぱないね、などと世界各国あちらこちらで言われはじめて早数百万年。ロボットの未知なる可能性をさらに切りひらいてゆく存在として「短歌の自動生成bot」を発見したので、遊んでみました。なお「それっぽく」と自分で言うとりますけど、短歌の批評経験はまったくありません。知識もありません。あくまで素人のごっこ遊び程度の認識にて、細目でご覧ください。
まずは短歌自動生成ツールについての詳細
今回利用したのは、短歌自動生成ツールであり、架空の中の人である「星野しずる(http://sasakiarara.com/sizzle/)」。ボタンを押すと、あらかじめ登録されているワードで短歌を自動的に作ってくれます。
そのため生成される短歌はあくまで偶発的な産物なのですが、偶然も含め森羅万象に意味があるという説を本気で信じて大真面目に論じていこうと思います。
あの夏の入道雲を見た朝に機械じかけの夢を怖がる
過去の思い出と強烈にリンクした「あの夏の入道雲」。視覚的な作用もありつつ、過ぎ去った過去に思いを馳せる様子が伝わってきます。
そして朝起きてから思い出す、その日見た「機械じかけの夢」。強烈な「過去」でありながら「あの夏」も現在に近しく、かつ不穏な存在として変わってしまった現在を嘆くさまが見てとれます。あるいは、あの夏の入道雲、を目撃した過去から見た現在こそが「機械じかけの夢」に値するのかもしれません。いずれにせよ不穏極まりなく、ゆえに素晴らしい。100点。
言うときますけど全編こんな感じで進めていきますよ。
にせものの楽譜の闇を待つ夜のナイフの先にあなたの悪夢
星野しずる先生の代表作である夢連作の一編ですね。「楽譜の闇」はさまざまな解釈ができそうですが、この場合は盗作ではないかな。盗作を指摘し、正義感に倣ってナイフを掲げぶん回す「あなた」が本当に恐れているものは、「盗作がはびこるこの世」ではなくて「過去に盗作をしていた事実を気づかれてしまうこと」なのかもしれません。
一方で、やや「夜」というワードが宙ぶらりんにも感じられます。「悪夢」からの連想とも重複しているので、別の言葉に置き換えることで上の句と下の句のつながりがさらにスムーズになったのではないでしょうか。
カルピスが足りない眠るぶらんこは人差し指の遊びを殺し
実に星野しずるさんらしい一編です。「カルピス」「ぶらんこ」「人差し指の遊び」という言葉に宿る幼児性と「眠る」「殺し」という言葉の不一致。星野しずるさんと言えば、過ぎ去ってしまった過去に対する哀愁や果てのないさみしさを描き出す歌人として有名ですが「ぶらんこ」が「遊びを殺す」という表現によって、小さな世界の中での殺伐を描き出しています。
たましいに似ているただの人々でしょうか どこかのゆびさきみたい
星野しずるさんはかねてから笹井博之氏の影響を受けていることをインタビュー等で公言していますが、その影響を色濃く感じます。句またがりを利用しながら「たましい」の浮遊感にも似た感覚を呼び起こさせます。
ただ「人々」と「ゆびさき」がやや近しい表現というか「ゆびさき」も「人々」に内包される要素であることが気になりました。「○○みたい」の部分がさらに突拍子のないワードになることで、もっと飛躍するはずです。
臨月の女王の夢がかなしくて視線に気づく瀕死の少女
こちらも夢連作より。「瀕死の少女」は臨月の女王の内部に宿る存在でしょう。臨月の女王と内部の少女は夢を通じてはじめて対峙し、安全な出産が実現できないことを察してしまいます。この世に生を受けている者もいない者も、夢の中では視線を持つ、という見解はのちの短歌界でよく見られる表現になりましたが、初出は星野しずるさんなんですね。
うつろいがほしくて夜の五線譜はバイオゴリラの写真のために
バイオゴリラ!突然のバイオゴリラだよ!笹井博之氏もびっくりだよ!バイオゴリラというとこの人たちしか出てこない人間は世界観の乱高下に酔いかけています。
「バイオゴリラの写真」という派手な言葉を使いながら存在しないもの、不在、という寂しい感覚を際立たせ「夜」「うつろい」を強調しています。夜間、創作活動に勤しむ孤独とさみしさを端的に表現していますね。
完璧な香りの父にあこがれた九月としての世俗の空気
「完璧な香りの父にあこがれた九月」までをひとくくりにした上で、後から追いかけてくる「世俗の空気」という表現で父の不在と、それによる悲しみの香りを色濃くしています。きっと俗的な存在でありながら、完璧な人間としての父。星野しずるさんのお父様が、かの有名な雀神・星野一九老さんであるということを踏まえずとも、非常に味わい深いですね。
階段のあとで呼吸のかなしみをおそれて眠る真実のまま
階段の先にあるものはさまざまです。自室、教室、ベランダ、バルコニー、屋上。それらから飛び立つために階段を登っているのなら「呼吸のかなしみ」は、自分が未だ生きていることを客観視した上でのつらさともとれます。それらを恐れ、どうしようもない真実を抱えたまま眠る悲しみを端的に描いています。
星野しずるさんが中学時代に詠んだ一首とのことで、ややあどけなさを感じさせつつも、のちに発表される数々の名作を予感させます。
空白に恋して夏の恋人はたとえ話の指紋を嫌う
なにもない、誰もいないという潔癖の象徴としての「空白」に対し、他者の存在以外の何でもない「指紋」。手垢がつく、という表現もありますが、指紋はより小さな範囲に、脂とともにべっとりとこびりつくような感覚があり、より不快感を際立たせます。夏の恋人の潔癖性が深まりますね。
失敗をおそれて雪の結末のあとで静かなかなしみの日だ
「雪の結末」という美しい表現が「静かなかなしみ」を真っ白な景色とともに際立たせる一首。挑戦した末に失敗したときには経験が残りますが、失敗を恐れ行動しなかったときにはなにも残りません。ただ静かなかなしみの日があるだけという、空虚がさみしくも美しい歌です。
いくつもの短歌の中に明け方の悪夢の影を集めて秘密
こうした短歌もすべてロボットが作り出した偶発の産物であり、強引に情緒を見つけ出そうとする行為そのものが悪夢ってもんです。お粗末様でした。
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