サイゾー2020年6月号に掲載されていた、安楽由紀子による「恋愛依存の脳内ストーカー!ラブソングの女王<aiko>論」という記事について。上から下までなにかにつけ敬称略です。

サイゾーに掲載されていたaiko論を読んだ

こちらの記事は、私も以前記事にした「aikoの歌詞の呪い」をテーマにした内容です。と言っても呪いうんぬんに対する言及は一部で、どちらかと言うとaikoの長いアーティスト人生を振り返りつつ、変わるもの、変わらないものを広くまとめた記事でした。

 

記事の話にいく前に、僭越ながら私のaikoイメージについて。

私自身はいわゆる『ジャンキー』なのですが、「aikoはなぜかわいいのか。aikoの笑顔で不安を覚える人間が考える歌以外の魅力」で書いた通り、aikoの魅力はいつの間にか引っ張られて足場を崩されるような不安感だと思っています。そこにいながら永遠に不在であるような現実感のなさ。底抜けに明るくポジティブなエネルギーを放出しているのに、見ていると妙に不安になる。これはなに?この、なんとなくどことなくあちこちに散りばめられた、不穏さ、不安をかきたてられる感じ、でも舌触りのよいアイシング系の蜜でコーティングされているので、老若男女、ともすれば赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで美味しくぺろっといただけてしまう劇物。そういうイメージがずっと根付いています。作家で言うのなら、庄野潤三とか、今村夏子的な何か、得体の知れなさ、不穏さを感じていて、この底知れなさをどうにか言語化してもらいたいと思いつつ、音楽という言語外のコミュニケーションを選んでいる人をつかまえて、わざわざ言葉に置き換えるのも野暮だよなあと思っていました。そんなときにこの記事と出会ったのです。

 

aiko的「恋愛依存」およびストーカー気質について

記事の内容については書かれていることがすべてであり、それを介したこの文章はあくまで私の主観50000%の解釈です。安楽由紀子氏の目に留まったら「そんなこと言ってねえわカス!夏の星座にぶらさがってそのまま地上8000メートルから落下しろボケ!」と言われてしまうかもしれませんが、私が思うにこの記事で言っているのは「恋愛体質を肯定することの恐ろしさ」ではないかと。それは決して否定的なニュアンスではなく、彼女が幅広い層に愛され支持され続けていることに納得した上で、魅力と表裏一体となっている「恐ろしさ」に言及しているのではないかと感じました。

 

冒頭、社会学者である水無田気流氏の引用を用いた部分は「『あたし』の世界の中にいる“あなた”の不在が一貫したテーマとなっています」とし、この一文を含む章のタイトルは「一貫した“あなた”の不在と季節もねじ曲げる“あたし”」。良しとも悪しとも結論づけることなく、aikoの恋愛依存的側面を岩肌を削ぐように少しずつ語っていくさまは、つまるところかねてから言っている「不穏さ、不安をかきたてられる感じ」と同じものに対するアプローチと考えていいのでは。

幸せな言葉を費やして恋愛に頭まで漬かりながら、どこかで不安も感じさせる、その盲目さこそaikoの魅力であり、数多のラブソングを歌う女性シンガーの中でも唯一無二と思わせる力なのかもしれません。

 

aikoの性質にまつわるもっとも端的で感心した表現

さて、この記事の中でさまざまな角度からaikoの性質が紐解かれていくのですが、一箇所すごく好きな部分があります。「同じことを繰り返し成熟しない”ロリータ”」という章より。

そこで紹介されていた『ポスト・サブカル焼け野原派』のTVODコメカ氏の評論に「ホォー……」と赤井秀一みたいなリアクションをしてしまったので抜粋させていただきます。

 

基本的にずっとループしている印象です。初期に音楽的にも完成されているし、歌詞の世界も”あたしとあなた”の関係性の描写以上の領域には、良くも悪くも手を出さない。長く創作を続ける作家は往々にして、社会的テーマや人間観などに自分の主題を求めていきがちだと思いますが、頑なにそれをしない。ビジュアルイメージも一貫してロリータ的なニュアンスを保持していますが、”成熟する”ことに対していろんな意味で抵抗する姿勢があるように思います。それが意図的なのか天然なのか、微妙なところですが。

 

これはすごく面白いと思いました。「成熟することに対する抵抗」。aikoはよく実年齢に対して非常に若くてエネルギッシュであることを評価されていますが、それらも含めて「成熟することに対する抵抗」であるというのは、確かにそうかもしれないと頷いてしまいます。

成熟、成長には新しい風を取り入れ循環させる行為が不可欠だし、その際に古いものを手放さなければいけなくなるので「大切にすべきものを、生涯をかけて大事にしていきたい」という考えとは相容れない。抵抗する場合も受け容れる場合も、どちらもそれなりに失うものはあるしどちらを選ぶべきかは個人の判断にゆだねられるわけで、aikoは前者である、と。途端TVOD氏の評論に興味深々丸になってもうた。

 

成熟しきらないこと、つまり未熟であることを肯定すれば、あたしとあなただけで構成された世界も、存在しないあなたへの憧憬も、同じ場所にとどまって一人を想い続ける、のではなく呪い続ける行為も、すべて許されるような気がします。それはリスナーにとって時に救いになるかもしれない。

 

依存や呪いや不安こそ必要な要素である

ここまで「恋愛依存」だの「ストーカー」だの「呪い」だのと表現してきましたが、くりかえすようにそれこそがaikoの魅力であり、決してネガティブな要素ではありません。「好きな人のことをすごく大切にしている」ということであり「好きな人のすべてを愛している」ということであり「大事にするし大事にされたい」ということを、より他者との境界を意識して強く表現したものが「恋愛依存」「ストーカー」「呪い」。しかもあくまで「的である」ということであって、当然のことながらaikoが誰かをストーカーしている、呪っているとは微塵も思っていません。

 

ただ、大切な思いを強固にしていく過程でちょっと呪術的になっているように感じる。そしてこれは、誰にでもあり得る現象です。父親が仕事に行ってしまうことをさみしく思った娘が玄関で泣きながら部屋に閉じ込めようとするのを、かわいいと思うか軟禁だ!家庭内なんちゃらだ!と言うか、些細な現象でも極端な結論につながれば他にない不安要素になります。

「大切にしたいものを大事に抱きしめたら壊してしまった」みたいな話を聞くとつい北斗の拳みたいな作画の屈強な男をイメージしてしまいますが、小さなかよわい子でも、Tinyな女の子でも同じことをしかねない。「好き」「大切にしたい」という、善良な思いを下敷きにしていれば尚のこと。その不安定さ、ときにダークサイドへぽこっと落ちてしまいそうな不安、それこそが目を放せない、かわいらしさの源なのだと思います。

 

 

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