中原昌也氏の自伝『死んでも何も残さない』、酷評の件とか

『死んでも何も残さない』という中原昌也さんの著書を読みました。やはり中原昌也、人生とは中原昌也。感想というか、読んで感じたことなど。

『死んでも何も残さない』の面白さ

『死んでも何も残さない』は、自由も自由な文体で文学界を四方八方揺るがしまくる中原昌也さんの自伝作品であります。語り下ろしということで内容は究極に取り留めなく、意味も説法もあるようでないようで終始不思議な感覚でした。

生い立ちから、現在の生活から、仕事の話から、趣味の話から、いかに文章を書くということが自分にとって苦痛であるかとか、いかにアパートに訪ねてくるおじいちゃんがめちゃくちゃ面倒くさいとか、そんなこと。

思いついたことを勢い重視で吐き出しているような感じで、文学とは表現とは……というタイプの作品ではないのですが、それがまためちゃくちゃ面白いです。

中原昌也ビギナー向きというより、何冊か読んだけどなんか嫌いになれねえなあ、なんだかよく分からないけどクセになるよなあ、という人が、あ~好きだわ~になるために必要な一冊という感じ。

 

批評家からの酷評について

さて『死んでも何も残さない』では、冒頭にとある批評家から批判されたことについて憤慨していました。なんでも、中原さんとその周辺のかたがたについて「中原昌也に『キャラ萌え』して仲間褒めばかりしているような連中」という表現があったそう。

この件について詳しく知らないのでここだけ抜粋して何かコメントするのもおかしな話なんですが、しかし「中原昌也に『キャラ萌え』」という表現が、すごく腑に落ちてしまうので参る。

私は中原さんがすごく好きなんですが、こんなに作品の向こうに「中の人」を感じて楽しんでいる作家さんはあんまりいないかもしれません。

例えば、金原ひとみさんの作品を読んで「これは実体験なんかなあ」と思うことはあるかもしれない。もしくは、阿佐田哲也さんの作品を読んで「先生は麻雀がそうとうお強かったんでしょうねえ」と思うこともある。でも中原さんの作品は、そういう「作者が透けて見える」ことがあまりありません。作品の世界と本人の生の世界が、近いようで乖離している、微妙なバランスにとても信頼を置いています。

それなのに、作品をなぜか読んでいるとなぜか脳裏に浮かぶ中原さんの顔。

作品に対して、こじつけ的に奥行きを感じてその先にあるキャラクター像に期待を抱いてしまうのはオタクの悪癖だなと反省しつつ、どの作品でも書き手が揺るがず「○○さんっぽいな~」と思わせてくれるというのは、読み手にとってたまらないポイントでもあるんですよな。

 

音楽の話で感じるときめき

『死んでも何も残さない』の中では、音楽の話がちょこちょこ出てきます。中原さんはアメリカのインディペンデントレーベルRRRecordsより、「暴力温泉芸者」というノイズユニットとしてコラージュ音源を出し、音楽活動を熱心に行っていました。

文章だろうと音楽だろうと、やっていることがわりとぶれていなくてとても好感度高いです。

そしてその後、「暴力温泉芸者」は「Hair Stylistics」という名前に改名していらっしゃるのですが、改名のきっかけが小室哲哉さんの番組に出演したときに「暴力温泉芸者」というワードを客観視して恥ずかしくなった、というのがまた。

こういうとこですよ!!

こういうエピソードを出されてしまうとお手上げです。そりゃキャラ萌えうんぬん、とか言われてしまうよねという感じです。こういう感じの生き方や考え方を無造作につめこんだ『死んでも何も残さない』。

やや後ろ向きに思えるタイトルとは裏腹、中原さんの著書『知的生き方教室』に続き、知的な生き方の参考になる一冊です。中原さんのことをもっと知りたいワ、という方にぜひぜひ。

 

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