トウテムポールさんの「東京心中」ネタバレありで矢野さんのやばさを語る

誰しも、人生のいたるシーンで読み返したくなる大切な作品があると思います。私にとってその立ち位置の作品であるトウテムポールさんの「東京心中」シリーズについて暑苦しく語らせてください。

東京心中シリーズとは

以前にも書いた好き作家さん・トウテムポールさんによるBL作品シリーズです。テレビ制作会社を舞台に「なんとなく」という理由で入社した主人公・宮坂が、思わぬ仕事の忙しさにボロボロになりながら成長していくお話です。

BLレーベルの作品ですが、主題は仕事によってもたらされる課題や自己成長や、自分の信じるものを信じ続ける楽しさ、しんどさではないかな。シリーズ累計10冊刊行されているので、もちろんこのほかにもさまざまな要素が積み重なっているのですが、一番ビシビシに響いたのがこのあたりのテーマです。

 

東京心中の矢野さんという最強のキャラクター

そんな東京心中シリーズ、色々たまらないポイントはあるのですが一番刺さってしまうポイントが宮坂くんの上司であり、シリーズを通して最重要キャラクターとなる矢野さんの人柄。普段、あまり漫画やゲームのキャラクターに深く思い入れるタイプではないのですが、矢野さんというキャラクターについてはもし現実にいたら弟子入りさせてもらいたいと思うくらいめちゃくちゃに好きです。

BL的な言い方をすると受けなのですが、そういった外的に与えられる役割と関係なく生きているところが本当に最高。以下、最高ポイントの列挙。

  • 仕事にしぬほど真面目
  • 悪態と暴言がひどい
  • 自分のことしか考えていないようで他人の努力や頑張りを見逃さない
  • 映画がめちゃくちゃ好き(撮りたいという思いが仕事への姿勢につながっている)
  • しぬほど自由人(「決めた俺明日引っ越してくる」という名言とともにピンコマ内に「勝手」と筆書きされる)
  • 一般的な常識が通用しない(幼馴染から「常識とかないもんな」と言われるレベル)
  • 他人のことを気にしない(キャバクラでは映像と仕事の話を思いついたタイミングで思いついた順番で思いついたように喋る)
  • 一方でめちゃくちゃ論理的に考え、伝える(宮坂くんが感情的になったとき押さえ込まれた状態のまま粛々と説教する)
  • 誰に対しても平等に強い(猫にまで強い)

このように挙げだしたらきりがないのですが、一番好きなところは「映画が好き」というところで、この性質が直接どうということではなく、矢野さんの揺るぎない生き方の鍵であることがもう、めちゃくちゃ好きです。

 

「映画が好き」という気持ちだけで生きる潔さ

矢野さんは宮坂くんに告白されたとき「映画より人を好きになることはない」と言っています。作中の時間が流れる中で矢野さん自身も成長し、柔軟になっていく中で「そう考えるのは間違い」と訂正するのですが、私はむしろ映画に対する誠実さが矢野さんの最大の魅力なのだと思っています。

特に好きなのがシリーズ3巻「君も人生棒に振ってみないか?」で、小生意気な部下・橘くんの自宅に行って映画の話をするシーン。国内外で高く評価されている映画監督を父に持つ橘くんが「技術を学べる環境は確かにあった、しかし周りの大人たちは息子というだけで面白いものを撮るだろうと期待する、自分には面白いものが撮れない」という心情をはじめて吐露する名シーンです。

これを受けて矢野さんは、映画に対し「子どもがヒーローに憧れるように、なりかわりたいくらい好き」「物質ならしがみつきたい」と語りはじめます。しかし映画は物質ではない、だから少しでも近づこうとする。すると泥沼に足をとられ、もがき苦しむしかなくなる。これまで一緒に映画を楽しんでいた奴からは「なんだこれ下手くそだな」と評論され、ほんの数ミリ近づいた場所から改めて映画を見ると、スポンサーだとか金だとか事務所だとかの影響を受けた美しいだけのものではないことに気づいてしまう。

そんな状態でも矢野さんは橘に対し「お前はまだ岸につかまって溺れないようにしている、手を放して泥沼に飛び込む覚悟を決めろ、俺とお前は溺れながらじゃないと撮れない人間だ」と伝えます。

帰宅後は宮坂の顔を見て「お前はいいなあ」とこぼす矢野さん。宮坂視点では一貫して「よく分からない(けどそこがメッチャいい)人」として描かれている矢野さんですが、矢野さんは矢野さんで自分とは違うアプローチで一歩ずつ映画に近づいている宮坂に思うところがあって、それはポジティブな感情だけではなく「俺の方が映画好きなのに」「ねたましい」という気持ちも含むのですが、ほとんどはじめて語られるモノローグの中にちょっとすさまじいくらいの愛情が見え隠れして、あっけにとられながら泣いてしまいました。

これまでの内容を読んでいて「なんで矢野さんはこんなにも仕事人間なんだろうな~」と思っていたのですが、矢野さんにとってテレビ業界の仕事はその先にある映画を撮るという目標のため、溺れるべき場所なのだと分かり、ボロッボロ泣きながら「私も仕事がんばろ~!!」という気持ちになります。まじで全人類、日曜の夜に東京心中を読んでほしい。東京心中は自殺防止につながる。

 

矢野さんの家族の話に泣かされてしまう

続いて7巻「ブラックドッグノービスケッツ」の好きなエピソードのお話。ここでは宮坂くんと矢野さんが出会う前、学生時代のお話が語られています。このお話ではじめて矢野さんが映画に興味を持ったきっかけが分かるのですが、これまたねえ~淡々としているのに読むたびに自動的に泣いてしまうんですよ……。

さっとあらすじだけ解説すると、高校時代に父を亡くす矢野さん。妹も弟もいる中で、長男の自覚と喪失が入り乱れ、一度も泣かないまま淡々と日々をやり過ごしていきます。学校に通う気力もなく、あてもなく入ったピンク映画館で館長のおじさんに「お前学生やろ」と注意されるも、なんだかんだで仲良くなり、映画の話をあれこれしたりフィルムに触らせてもらったり。ちょっとニューシネマパラダイスっぽくて素敵な関係性。

あるときおじさんに「学校行かなくてええんか」と聞かれた矢野さんは「長男だし、学費もばかにならないし、辞めて働こうと思っている」と家庭の状況を吐露。おじさんは「不幸ぶるのはやめろ」とだけ言ったあと、説得するでも叱るでもなく「一本奢ったる」と閉館後の映画館で『羅生門』を見せてくれます。そして「自分が家族を引っ張っていこうとするのはすごい、でも家族からしたら頼んでもないのに勝手に責任をとられるのはしんどい。それよりは、本当に助けを求める人が現れるまで自分勝手に生きた方がいい」というような話をします。「責任をとるなんてたいそれたことは考えていないけれど、家族のために生きたいと思った、でもそれ自身がおこがましいのかもしれない」と前向きに考え直す矢野さん。最後におじさんは「もう来んなよ。うちはピンク映画館なんだから学生に出入りされると困る」と伝えます。このあとの描写が、そりゃもうニューシネマパラダイスの伝説のラストシーンレベルにめちゃくちゃ感動してしまうのですが、ここは言葉で説明できないところなのでぜひとも実際に読んでください……。

前述した他人に揺るがされない性格も、奔放な生きざまもそれらの土台である真面目さも、矢野さんの好きなところはすべてありとあらゆる経験の先に生まれたものなのだ、そこに到達するためには不要な時間なんて1秒もなかったんだと実感して、本当にもうめちゃくちゃ好きだ……がんばろう……私も生きることをがんばろう……という気持ちになります。

同作者さんの激アツ将棋まんが「或るアホウの一生」も、やっぱり好きなことに全身全霊で取り組むお話で、自分のぬるさに渇を入れたいときにおすすめだよ。詳しくは→トウテムポールさん「或るアホウの一生」の騒動と出版業界の現状打破のためにできること

 

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