山田花子の自殺から考える「不謹慎」の本質について

「裏町かもめ」「山田ゆうこ」などの名前で活躍した漫画家、山田花子さん。統合失調症や精神病をわずらい、日々に息苦しさを感じたままついに自らの手で生涯に幕を閉じた人物です。

近年、人の生死に関して「不謹慎」というワードがますますしつこくついて回るように感じられるからこそ、今、山田花子さんの死にまつわるあれこれを考えたいと思います。

山田花子、自殺の原因と経緯

山田花子さんの自殺当日、自殺にいたる経緯は、彼女の母が「自殺直前日記」に書き連ねています。内容には、当たり前ですがとてつもないリアリティをはらんでいて、不謹慎ですがすごくいい文章です。自殺したその日のことは、端的にまとめると次の通り。

 

  • 母と一緒に仕事部屋である東中野のアパートへ掃除に行く
  • 掃除を終えて帰宅途中、母はスーパーで買い物をするため、花子と別れる
  • 帰宅後、母は花子が自宅にいないことに気づくが、散歩に行っているのだろうと思い込んでいつも通り家事にいそしむ
  • その後時間が経過し、あまりにも遅いのでさすがに心配になって周囲を探しに行く
  • 仕事を終えた父が帰宅し、花子がいないことを知って捜索願を出す
  • 警察に「心あたりがある」と言われ、警察署へ向かうも花子の特徴や服装を聞かれるばかりでなかなか会わせてもらえない
  • その後、警察の口から自殺し、死体を安置していることを告げられる

 

ちょうど帰宅の遅さに心配した家族が探し始めたころ、花子は高層住宅の11階から飛び降り自殺をしていました。原因と思われる内容も、日記を読んでいれば痛いほどにわかります。きっと昔から、自分と社会とのあいだに発生する大きな溝を超えられなかったのでしょう。

 

自殺という事実を告げられた家族の気持ちを思うととても痛ましいですが、この気持ちと「不謹慎」という外野の意見との境界線が、分からなくなることがあります。

 

「不謹慎」とは一体何なのか

確かに、誰かが傷ついているときに、ましてや命が絶たれるできごとがあったときに当事者や周辺の方の痛ましい思いを想像せず、傷ついている相手を不用意につつくような行為はまぎれもなく「不謹慎」でしょう。しかし、近年では傷ついている本人の声以上に「不謹慎」を訴える声の方が大きく感じられることも少なくありません。違和感です。強い。とても強い違和感です。

例えば「自殺直前日記」には、生きづらさを訴える生前の叫びがつづられています。そして、この内容を「販売」することに対し、「不謹慎だ」という意見もたびたび見かけました。両親はきっと、せめて娘が生きた証を残すために出版という形を選んだのでしょうが、この場合の「不謹慎」は誰に向けられているのでしょうか。

きっと「不謹慎だ」と声をあげた人の「美学」のために語られる不謹慎だと思います。僕は私はこういったものが存在する社会は不謹慎だと思うからやめたほうがいいと思うからだから出版社は今すぐ取り下げろ、不謹慎だから。存在しない方がいいから。つまり、両親の思いや花子の生前の心の内側は人目につかない方が、存在しない方がいいから。それが僕や私の美学だから。

ひょっとしたら自分も同じような疾患を患ったことがある、もしくは家族に患っていた人がいる、のかもしれません。もちろん、ならば仕方ないということではまったくありません。

そもそもご両親がどのような気持ちで出版に至ったか、そして花子がどんな気持ちで日記をしたためていたか、それ自体我々はなんとなく想像し、なんとなく察することしかできません。たとえご両親の名前でなんらかの声明が発表されていたとしても、どこまでが本音かなんてわかるはずもない。そんなのは花子のご両親だけの話ではありませんが、人の心はそうやって常に疑い、疑われてもなお、本心から離れた場所を浮遊するようなものです。そうした当事者の心を、外野が一瞬湧いた「それって不謹慎なんじゃないか?」という疑いで、グーグルマップに赤いピンを立てるみたいに決めつけてしまうのは、いったいどういうことなんでしょう。

 

不謹慎な「山田花子の形見分け」事件

とは言え、不謹慎かどうかはともかく、誰かが命を絶ったことへの対応に「おっと?」と思う気持ちは分かります。山田花子さん関連で、わたしがさすがに「おっと?」と思ったのは、ガロ1996年12月号で掲載された「山田花子遺品プレゼントコーナー(別名、形見分けコーナー)」

そこで紹介されているプレゼントとは、例えば「子どもの頃から熱心に集めていた貝殻」。想像以上に形見分け感が強いこのアイテムを、読者へプレゼントする企画は今なら実現しないでしょう。

きっと「不謹慎だ」という声が殺到するだろうから。

だけれども、もし今、同じ出来事と同じ企画があって「不謹慎だ」という声で企画が中止になったらご両親はどんな思いで貝殻を持ち帰るのだろうか、どんな袋に貝殻を入れて、どんな表情で帰路に着くのかと考えると、それこそ花子じゃないけれど「もういやっ!」と叫びたくなります。誰に向けた言葉で、誰を守ろうとして、結果誰が傷ついてしまうのか、もうすっかりわからなくなってしまいました。

 

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